歴代の総理大臣(首相)一覧。政党、就任期間、実績・評価など。
| 名前 | 政党 | 就任期間 | 説明(実績・評価など) |
|---|---|---|---|
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石破茂
(いしば・しげる) |
自民党 | 2024年10月~ |
極右ポピュリズムと排外主義の台頭に警鐘を鳴らした。 |
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岸田文雄
(きしだ・ふみお) |
自民党 | 2021年10月~ 2024年9月 |
外交に安定感。防衛費を増額 |
| 菅義偉
(すが・よしひで) |
自民党 | 2020年9月~ 2021年10月 |
安倍氏の後継者。コロナ禍で支持率が下落し、短命に終わった。 |
| 安倍晋三
(あべ・しんぞう) |
自民党 | 2012年12月~ 2020年9月 |
憲政史上最長の在任期間を達成。外交と安全保障で実績。憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を可能に。 |
| 野田佳彦
(のだ・よしひこ) |
民主党 | 2011年9月~ 2012年12月 |
消費税引き上げ(5%→10%)という超題を片づけ、政権を手放した。民主党総理3人の中で最も安定感があった。 |
| 菅直人
(かん・なおと) |
民主党 | 2010年6月~ 2011年9月 |
東日本大震災に対応 |
| 鳩山由紀夫
(はとやま・ゆきお) |
民主党 | 2009年9月~ 2010年6月 |
期待外れ。日米関係を悪化させた。 |
| 麻生太郎
(あそう・たろう) |
自民党 | 2008年9月~ 2009年9月 |
リーマン・ショックが直撃。短命に終わっただけでなく、民主党に政権を明け渡した。 |
| 福田康夫
(ふくだ・やすお) |
自民党 | 2007年9月~ 2008年9月 |
親中国。短命に終わった。 |
| 安倍晋三
(あべ・しんぞう) |
自民党 | 2006年9月~ 2007年9月 |
戦後最年少で就任。教育の右傾化を推進。期待に反して支持率が急落し、短命に終わった。 |
| 小泉純一郎
(こいずみ・じゅんいちろう) |
自民党 | 2001年4月~ 2006年9月 |
日本経済の近代化を推進。長引く不良債権問題を解決した。 |
| 森喜朗
(もり・よしろう) |
自民党 | 2000年4月~ 2001年4月 |
史上最低の支持率。 |
| 小渕恵三
(おぶち・けいぞう) |
自民党 | 1998年7月~ 2000年4月 |
庶民派。 |
| 橋本龍太郎
(はしもと・りゅうたろう) |
自民党 | 1996年1月~ 1998年7月 |
省庁再編と金融ビッグバンを実行。消費税率を3%から5%に引き上げ。 |
| 村山富市
(むらやま・とみいち) |
社会党 | 1994年6月~ 1996年1月 |
自民党と社会党の連立によって誕生。被爆者や水俣病被害者の対応に注力。 |
| 羽田孜
(はた・つとむ) |
新生党 | 1994年4月~ 1994年6月 |
短命 |
| 細川護熙
(ほそかわ・もりひろ) |
日本新党 | 1993年8月~ 1994年4月 |
非自民の連立政権のトップとして就任。 衆院小選挙区制導入。コメ市場開放 |
| 宮澤喜一
(みやざわ・きいち) |
自民党 | 1991年11月~ 1993年8月 |
国際派らしく安定した外交力を発揮したが、政治改革をまとめられず。 小沢一郎グループの造反により退任。 |
| 海部俊樹
(かいふ・としき) |
自民党 | 1989年8月~ 1991年11月 |
党の実力者・小沢一郎の傀儡政権と言われた |
| 宇野宗佑
(うの・そうすけ) |
自民党 | 1989年6月~ 1989年8月 |
女性スキャンダルで即退任 |
| 竹下登
(たけした・のぼる) |
自民党 | 1987年11月~ 1989年6月 |
消費税導入 |
| 中曽根康弘
(なかそね・やすひろ) |
自民党 | 1982年11月~ 1987年11月 |
国鉄民営化 |
| 鈴木善幸
(すずき・ぜんこう) |
自民党 | 1980年7月~ 1982年11月 |
行政改革を推進 |
| 大平正芳
(おおひら・まさよし) |
自民党 | 1978年12月~ 1980年6月 |
親米路線。モスクワ五輪をボイコット。在任中に急死 |
| 福田赳夫
(ふくだ・たけお) |
自民党 | 1976年12月~ 1978年12月 |
親中国派。日中平和友好条約調印 |
| 三木武夫
(みき・たけお) |
自民党 | 1974年12月~ 1976年12月 |
クリーンな政治を推進 |
| 田中角栄
(たなか・かくえい) |
自民党 | 1972年7月~ 1974年12月 |
日中国交正常化。旧来型の土建屋政治 |
| 佐藤栄作
(さとう・えいさく) |
自民党 | 1964年11月~ 1972年7月 |
沖縄返還 |
| 池田勇人
(いけだ・はやと) |
自民党 | 1960年7月~ 1964年11月 |
高度経済成長 |
| 岸信介
(きし・のぶすけ) |
自民党 | 1957年2月~ 1960年7月 |
日米安保条約改定 |
| 石橋湛山
(いしばし・たんざん) |
自民党 | 1956年12月~ 1957年2月 |
病気で倒れて短命政権に終わる |
| 鳩山一郎
(はとやま・いちろう) |
日本民主党→自民党 | 1954年12月~ 1956年12月 |
日ソ国交回復、憲法改正挫折 |
| 吉田茂
(よしだ・しげる) |
民主自由党→自由党 | 1949年2月~ 1952年10月 |
戦後復興、サンフランシスコ講和条約締結 |
| 芦田均
(あしだ・ひとし) |
民主党 | 1948年3月~ 1948年10月 |
政官汚職で早々に退任 |
| 片山哲
(かたやま・てつ) |
社会党 | 1947年5月~ 1948年3月 |
戦後最初の社会党首班政権 |
| 吉田茂
(よしだ・しげる) |
自由党 | 1946年5月~ 1947年5月 |
国家独立回復の立役者 |
| 幣原喜重郎
(しではら・きじゅうろう) |
進歩党 | 1945年10月~ 1946年5月 |
GHQの指示で民主化政策 |
| 東久邇宮稔彦王
(ひがしくにのみや・なるひこおう) |
皇族 | 1945年8月~ 1945年10月 |
戦後の初代首相(皇族) |
| 鈴木貫太郎
(すずき・かんたろう) |
大政翼賛会 | 1945年4月~ 1945年8月 |
海軍出身で、昭和天皇の信任が厚かった。戦況が絶望的になる中で首相に就任し、ポツダム宣言受諾を決断。8月15日の玉音放送を経て終戦。 |
| 小磯國昭
(こいそ・くにあき) |
大政翼賛会 | 1944年7月~ 1945年4月 |
戦局悪化の中で首相に就任。国内体制維持に努めたが、戦争終結には至らなかった。 |
| 東條英機
(とうじょう・ひでき) |
大政翼賛会 | 1941年10月~ 1944年7月 |
太平洋戦争を主導した軍人宰相。敗戦責任を問われ、戦犯として処刑された。 |
| 近衛文麿【2次、3次】
(このえ・ふみまろ) |
大政翼賛会 | 1940年7月~ 1941年10月 |
1940年7月に成立。大政翼賛会を創設し、政党政治を事実上解体。日独伊三国同盟を締結して国際的孤立を深めた。1941年7月から第3次へ。日米交渉を模索したが、強硬派の反発を抑えられず開戦を回避できないまま退陣。 |
| 米内光政
(よない・みつまさ) |
1940年1月~ 1940年7月 |
海軍出身。日中戦争の拡大に慎重姿勢を見せたが、陸軍に押され短命政権に終わった。 | |
| 阿部信行
(あべ・のぶゆき) |
1939年8月~ 1940年1月 |
軍部と調和を図ったが実績乏しく、短期間で退陣。 | |
| 平沼騏一郎
(ひらぬま・きいちろう) |
1939年1月~ 1939年8月 |
右翼的傾向が強く、独ソ不可侵条約に衝撃を受け「天佑を確信」声明を残して辞任。 | |
| 近衛文麿【1次】
(このえ・ふみまろ) |
1937年6月~ 1939年1月 |
日中戦争が全面化。国民精神総動員運動を展開したが、戦局拡大を止められなかった。 | |
| 林銑十郎
(はやし・せんじゅうろう) |
軍 | 1937年2月~ 1937年6月 |
軍人出身の暫定内閣。国会解散を強行し「食い逃げ解散」と批判された。 |
| 廣田弘毅
(ひろた・こうき) |
1936年3月~ 1937年2月 |
唯一の外交官出身首相。二・二六事件後に就任し、日独防共協定を締結。 | |
| 岡田啓介
(おかだ・けいすけ) |
1934年7月~ 1936年3月 |
海軍出身。二・二六事件で官邸襲撃を受けるも生き延びた。 | |
| 齋藤實
(さいとう・まこと) |
1932年5月~ 1934年7月 |
海軍出身。満州国を事実上容認した。二・二六事件で暗殺される。 | |
| 犬養毅
(いぬかい・つよし) |
立憲政友会 | 1931年12月~ 1932年5月 |
民政党内閣。五・一五事件で暗殺され、政党政治が終焉。 |
| 若槻禮次郎【2次】
(わかつき・れいじろう) |
立憲民政党 | 1931年4月~ 1931年12月 |
満州事変が勃発。国際協調を重視し軍部を抑制しようとしたが、現地軍の独走を止められず、世論や軍部の反発で辞任。政党政治が一層後退するきっかけとなった。 |
| 濱口雄幸
(はまぐち・おさち) |
立憲民政党 | 1929年7月~ 1931年4月 |
「ライオン宰相」。金解禁政策を断行したが、狙撃を受け翌年に死去。 |
| 田中義一
(たなか・ぎいち) |
立憲政友会 | 1927年4月~ 1929年7月 |
張作霖爆殺事件の処理をめぐり責任を問われ、辞任。 |
| 若槻禮次郎【1次】
(わかつき・れいじろう) |
憲政会 | 1926年1月~ 1927年4月 |
金融恐慌に直面し、台湾銀行救済問題で苦境に立たされた。結局、枢密院の反対などにより政権を維持できず、総辞職。政党内閣の限界を象徴する形となった。 |
| 加藤高明
(かとう・たかあき) |
憲政会 | 1924年6月~ 1926年1月 |
護憲三派内閣。普通選挙法と治安維持法を同時に成立させた。 |
| 清浦奎吾
(きようら・けいご) |
貴族院 | 1924年1月~ 1924年6月 |
貴族院出身。政党勢力に対抗したが総選挙で敗北。 |
| 山本權兵衛【2次】
(やまもと・ごんべえ) |
1923年9月~ 1924年1月 |
関東大震災の直後に就任。震災復興や治安維持に取り組んだが、虎ノ門事件(摂政宮狙撃事件)の責任を取って退陣。短命政権となった。 | |
| 加藤友三郎
(かとう・ともさぶろう) |
1922年6月~ 1923年8月 |
海軍元帥。ワシントン軍縮条約を支持したが在任中に病没。 | |
| 高橋是清
(たかはし・これきよ) |
立憲政友会 | 1921年11月~ 1922年6月 |
「ダルマ宰相」。経済重視の政策を取ったが短命政権。後に軍縮反対派に暗殺される。 |
| 原敬
(はら・たかし) |
立憲政友会 | 1918年9月~ 1921年11月 |
「平民宰相」。政党内閣を本格化させたが、東京駅で暗殺された。 |
| 寺内正毅
(てらうち・まさたけ) |
1914年4月~ 1916年10月 |
軍人宰相。シベリア出兵を行い、米騒動で退陣。 | |
| 大隈重信【2次】
(おおくま・しげのぶ) |
立憲同志会 | 1914年4月~ 1916年10月 |
第一次世界大戦期に在任。対華21か条要求を出し、外交で強い影響力を示した。 |
| 山本權兵衛【1次】
(やまもと・ごんべえ) |
立憲政友会 | 1913年2月~ 1914年4月 |
海軍出身。軍部の統制を進めたが、海軍の汚職事件(シーメンス事件)が発覚し、世論の批判を受けて総辞職に追い込まれた。 |
| 桂太郎【3次】
(かつら・たろう) |
立憲同志会 | 1912年12月~ 1913年2月 |
明治天皇崩御に伴い再登場。しかし「大正政変」で政党や世論の反発に遭い、わずか2か月で総辞職。 |
| 伊藤博文【4次】
(いとう・ひろぶみ) |
立憲政友会 | 1900年10月~ 1901年5月 |
立憲政友会を結成し、近代的な政党政治の枠組みを築いた。 |
| 山縣有朋【2次】
(やまがた・ありとも) |
1898年11月~ 1900年10月 |
政党政治に批判的で、超然内閣を組織。軍部の政治的影響力を拡大させた。 | |
| 大隈重信【1次】
(おおくま・しげのぶ) |
憲政党 | 1898年6月~ 1898年11月 |
早稲田大学の創設者。護憲運動の推進者。日本初の本格的政党内閣(憲政党内閣)を組織したが、党内対立でわずか4か月で崩壊。 |
| 伊藤博文【3次】
(いとう・ひろぶみ) |
1898年1月~ 1898年6月 |
政党内閣を模索したが、支持を失い短命に終わった。 | |
| 松方正義【2次】
(まつかた・まさよし) |
1896年9月~ 1898年1月 |
進歩党と提携して政権を維持しようとしたが、政党間の対立が激しく安定せず。1年半足らずで総辞職。翌1898年には憲政党が成立し、政党政治の新しい局面を迎えるきっかけとなった。 | |
| 伊藤博文【2次】
(いとう・ひろぶみ) |
1892年8月~ 1896年8月 |
政党勢力と対立しつつ政権を維持。日清戦争後の下関条約締結や三国干渉など外交で大きな役割を果たした。 | |
| 松方正義
(まつかた・まさよし) |
1891年5月~ 1892年8月 |
緊縮財政を推進し、「松方デフレ」を招いた。農村に深刻な打撃を与えた。 | |
| 山縣有朋
(やまがた・ありとも) |
1889年12月~ 1891年5月 |
軍備拡張を推進し、内務省を強化して藩閥支配の基盤を固めた。 | |
| 黒田清隆
(くろだ・きよたか) |
1888年4月~ 1889年10月 |
明治憲法(大日本帝国憲法)の公布時の首相であり、近代立憲国家への大きな節目を担った。 ただし、開拓使官有物払下げ問題などで政権が批判を受け、閣僚の辞任も相次ぎ、内閣は不安定に。 その後、超然主義的な姿勢をとり政党勢力と対立したため、長期政権を築けずに退陣した。 | |
| 伊藤博文【1次】
(いとう・ひろぶみ) |
1885年12月~ 1888年4月 |
日本初の内閣総理大臣。内閣制度を創設し、近代政治の基盤を築いた。 |