歴代の首相(総理大臣)の評価ランキング

順位 名前と在任期間 功績、略歴など
池田勇人(はやと)

1960年7月~
1964年11月

池田勇人

【動画】
<新年の挨拶↓>

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政治イデオロギーでなく、経済を重視する路線を敷いた。 国内の過度な政治闘争を沈静化させるとともに、「所得倍増計画」を掲げて国民の意識を浮揚。日本経済を長期的な成長へと引っ張った。

とりわけ金融政策において「低金利・成長優先」の路線を貫いたことが、繁栄をもたらした。 インフレを警戒して金利引き上げをしようとした日本銀行を何度も抑えつけ、金融緩和を持続させた。 時代の流れを読みながら経済を巧みに運営するセンスと知力は、戦後リーダーの中で突出していた。

大蔵省(現財務省)の官僚出身。とはいえ、もともとは超エリートというわけではなかった。 東大ではなく京大卒であり、かつ入省後に難病を患い、一時は退職を余儀なくされ、出世は遅れた。 それでも戦後に頭角を現し、大蔵次官まで上りつめた後、政界に転出した。

吉田内閣のときに、当選1回にもかかわらず大蔵大臣に大抜擢された。吉田の腹心の一人として戦後復興期の経済政策や外交を支えた。 いわゆる「吉田学校」の主要メンバー。 そのしばらく後、岸内閣が「日米安保反対」の大規模デモに見舞われ、安保改定と引き換えに退陣したのを受けて、総理に就任した。

就任にあたり、「今までのように野党と対決するという力ずくの政治は改め、『忍耐と寛容』の精神で議会政治をもり立てていきたい」と述べた。 前任の岸首相の強権的な手法からの大転換を打ちだしたのだ。

もともとは「貧乏人は麦食え」などの放言癖のある剛直な人物だったが、総理になってからは「低姿勢」に変身した。 労働運動を主導していた総評などの幹部との定期協議も始めた。

資本主義と経済自由主義を強く信じていた。 国民が経済的に豊かになることで世相が明るくなり、政治も安定し、世界における地位も向上する、というのが持論だった。

総理大臣の重要な役割の一つは、国の風土を国民にとって有益な方向へと導くことであろう。 その意味で、戦後期の日本を「政治の季節」から「経済の季節」へと転換させた功績は大きい。

首相在任中に癌になり、病院で治療を受けた。すでに進行しており、1964年東京オリンピックの後に退陣した。 その翌年、65歳で死去した。
吉田茂

1946年5月
1947年5月

1948年10月~
1954年12月

吉田茂

【動画】
<肉声(日本独立のための平和条約受託の演説)↓>

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サンフランシスコ平和会議での英語挨拶→
第二次世界大戦の敗戦翌年に首相に就任。 優れた外交能力とリーダーシップを発揮し、「サンフランシスコ平和条約」の調印(1951年)を実現させた。 これにより、日本は連合国による占領から抜け出し、独立国に戻った。

独立回復にあたっては、ソ連や中国を含めた「全面講和」でなく、 アメリカなど資本主義諸国との「単独講和」の道を選んだ。 これが国家としての大きな成功へとつながった。

占領軍を指揮するマッカーサー元帥(米国)と上手に渡り合った。 日本を占領していた米国の求める新憲法や象徴天皇制を受け入れつつ、 国家独立を回復するために様々な手段・技巧を尽くした。

戦後の社会不安で日本が揺れるなかで、 長期政権を実現した。 5回にわたる組閣などで権力を行使し、 「ワンマン」と呼ばれた。

外務省の官僚(外交官)出身。 もともと欧米との協調を重視しており、 戦時中は、ドイツ寄りの主流派とは距離を置いていた。 その一方で、満州政策では強硬論を唱えていた。
佐藤栄作

1964年11月~
1972年7月

佐藤栄作

【動画】
<沖縄返還↓>

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退任会見→
約8年の長期政権を無難にこなし、高度経済成長を持続させた。

就任当時、日本経済は東京オリンピックの後の不況の危機にあった。 これを積極的な財政出動による公共事業で乗り切り、1970年まで続く「いざなぎ景気」へと導いた。

岸信介・元首相の実の弟。 鉄道省(運輸省、現在の国土交通省)の官僚出身。

米国からの沖縄返還を実現させた。 首相就任から9か月後の1965年に沖縄を訪れ、返還に意欲を表明した。 政権の命運を賭した政治的な意思表示だった。 政権末期の1972年5月、「核抜き本土並み」で沖縄の復帰を成し遂げた。 1974年にノーベル平和賞を受賞した。
中曽根康弘

1982年11月~
1987年11月

中曽根康弘

【動画】
<TVインタビュー↓>

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人生まとめ(TBS)→
国鉄(現JR)、電電公社(現NTT)、日本専売公社(現・日本たばこ)の民営化を成功へと導いた。 とりわけ労働組合や族議員が抵抗していた国鉄の民営化については、 強力なリーダーシップを発揮した。

外交・安全保障では、 米国のレーガン政権との協調を強め、 日米関係を強化した。

その一環として、防衛力の強化にも取り組んだ。 防衛予算をGNPの1%以下に抑えるという枠も撤廃した。 レーガン政権は敵国・ソ連を追い込み、 長年の冷戦を終結へと導くことになるが、 そのレーガン大統領の盟友として国際的に認知された。

経済・金融面では、日米貿易摩擦の解消という狙いもあって、 円高ドル安を是認した。
小泉純一郎

2001年4月~
2006年9月

小泉純一郎

【動画】
<会見(郵政解散)↓>

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半生まとめ(TBS)→
「改革派」の首相。 自民党内の守旧派の反発を押し切り、 長年の持論だった郵政民営化を断行した。 また、道路公団などの特殊法人の改革も行った。 公共事業の削減にも取り組んだ。

バブル崩壊以降、10年にわたって日本経済の足を引っ張っていた不良債権問題を解決へと導いた。 学者だった竹中平蔵氏を経済・金融政策チームの中枢に据え、 国内の銀行が抱えるゾンビ企業向け融資の整理を推進。 産業構造の転換に向けた種をまいた。

日本の経済システムに残っていた談合的な体質を改め、透明性の高い競争社会づくりに取り組む小泉・竹中コンビの姿勢は、 世界からも高く評価された。

何よりも、真の経済活力は役所の机や役人の頭の中から生まれるのでなく、民間の切磋琢磨から生まれるという単純な事実を、よく理解しているリーダーだった。

閣僚や党役員の人事においては自民党党内の派閥の力学を軽視。 実力重視の人選を行った。その結果、能力の高い人物が長期間にわたって留任するという潮流を築いた。 その一環として、若き安倍晋三氏を腹心として重用し、 事実上、後継首相として育てた。

在任期間中に、米ブッシュ政権がイラクに対して戦争を開始した。 この戦争は正当性が欠如しており、 国際的に批判を浴びたが、 小泉氏は早々と「支持」を表明。 日本の外交の主体性の弱さを印象づけた。

とはいえ、それまでの自民党政権の過度な「親中国路線」の流れに楔(くさび)を打ち込んだ功績は見逃せない。
三木武夫

1974年12月~
1976年12月

三木武夫

【動画】
<記者会見↓>

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汚職事件で田中角栄首相が辞任に追い込まれた後、椎名悦三郎・自民党副総裁の裁定で総裁に指名された。

「諸悪の根源は政治資金がかかりすぎることにある」との持論から、政界浄化に取り組んだ。 政治資金規正法、公職選挙法の改正を実現した。 同時に、ロッキード事件の徹底究明を求め、田中元首相を逮捕に追い込むなど、「クリーン三木」をいかんなく発揮した。

財界が反対する独占禁止法の強化にも挑んだ。

安全保障では、ハト派の立場を貫いた。1971年に三木内閣が決定した防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠は、中曽根内閣が1987年度予算で枠を突破するまで10年余りの間、防衛費の歯止めとなった。

戦前の軍国主義の全盛時代、日米不戦を訴えた。 戦時中の1942年の国政選挙では、大政翼賛会の非推薦で立候補。軍部ににらまれ、厳しい弾圧を受けながらも、当選を果たした。
安倍晋三

2006年9月~
2007年9月

2012年12月~
2020年9月

安倍晋三

【動画】
<会見(TPP参加表明)↓>

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米オバマ大統領との演説(真珠湾)→
2度にわたり首相を務めたが、歴史に強いインパクトを残したのは、やはり短命に終わった1回目ではなく2回目。 歴代最長となる長期政権を実現し、総理が短期間でコロコロ交代するという日本政治の悪しき流れを断ち切った。 国家運営の安定性や一貫性を取り戻した。

憲法9条の解釈を変更し、集団的自衛権の行使を可能にするという、安全保障政策の大転換を行った。 その手法は極めて強引だったが、その後の国際政治の現実をふまえれば大きな功績だったといえる。

得意分野は何といっても外交。鳩山由紀夫ら民主党の首相時代に弱まった日米同盟を再び強固なものにしたのは当然として、戦後日本のトップとしては珍しく高度な戦略性のある外交を展開した。 中国の覇権主義の脅威が世界で強まるなか、アジア太平洋の自由主義国家の結束を呼びかけ、形として残した。

ただ、対ロシア外交ではプーチン大統領に擦り寄り過ぎたとの批判が多い。

外交や安保に比べると、経済政策は停滞した。 日本銀行による異次元レベルの金融緩和を実現し、株価上昇を演出したところまでは良かった。 しかし、消費税を5%から10%へと倍増させ、日本経済にダメージを与えた。財政破綻を避けるためにはやむを得ない大増税ではあったが、同時に行われるべき構造改革を実行できなかったのが、大きな問題だった。

構造改革の強い意欲は持っていたが、改革のセンスや方向性が良くなかった。 「伝統」や「道徳」を子供らに教えるのは大いに結構だが、 独創的な発想を持ち、既成の組織からはみ出ることをいとわない突破力を持つ個人や風土を育まなければ、日本経済は復活しない。 しかし、安倍政権の経済政策は、時代錯誤で護送船団的なものが目立った。例えば、官製投資ファンドの肥大化や財界に対する一律の賃上げ要請などだ。

池田勇人、中曽根康弘、小泉純一郎のように、新しい風を市場から起こさせるような発想が欲しかった。 何より、「究極の経済オンチ集団」として知られる経済産業省の役人たちの意見を聞き続けたのは失敗だった。

それでも、米国抜きでの大型自由貿易協定「環太平洋パートナーシップ協定」(TPP)を実現させるなど、他の政治家が総理大臣だったら難航したであろう課題を片付けていった。 行動力と気力に満ちた仕事師であったことは間違いない。

やたらと選挙に強かった。2度目の総裁就任以降は、国政選挙で全戦全勝(6戦連勝)。 インターネットの普及に伴い、左翼的な旧来メディアの影響力が弱体化したことが追い風となった。 同時に、右翼的思想に基づく行動を抑え気味にしたことで、幅広い層からの支持獲得に成功。内閣支持率を高い水準で保った。

一方で、反日的思想を持つカルト系宗教団体(旧統一教会)と選挙等で緊密な関係を築くなど、手段を選ばない姿勢は日本政治に禍根を残した。 偏狭な思想を持つ団体・個人との適切な距離を保つことができなかった。

政権の中枢を菅義偉(すが・よしひで)官房長官ら側近で固めたうえで、人事権や意思決定権を首相官邸に集約させた。 各省の官僚はもとより、主要マスコミをおとなしくさせるほどの強権的な支配体制となった。 準強姦容疑で逮捕状が出ていた安倍氏の友人が、逮捕を逃れるという事件も起きた。

2020年、国内のコロナウイルス感染拡大で支持率が急落。激務で体調を崩したとして急きょ辞任した。 その後も、自民党内の最大派閥のトップとして強い影響力を発揮した。 とりわけ外交分野では比類なき指導者としてのさらなる活躍を期待する声も多かった。 しかし、2022年7月の選挙応援演説中、逆恨みした人物に銃撃され、無念の最期を迎えた。 享年67歳。

学習能力の優れた政治家であっただけに、政策や人間力に磨きをかけたうえで3度目の首相就任を果たした可能性は高かったのではないか。惜しまれる。
鳩山一郎

1954年12月~
1956年12月

鳩山一郎

【動画】
<日ソ協定↓>

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ソ連との復交を求めてモスクワに赴き、日ソ共同宣言に調印。国交を復活させた。 その後、国連加盟も実現させた。

自由党と民主党を合併し、自由民主党を結成。自ら初代総裁に就任した。単一保守党の自民党が安定多数を占め、社会党と対立する「戦後55年体制」を築いた。

吉田ワンマンのあと待望の首相に就任。6年間の吉田長期政権にうんざりしていた国民に歓迎された。 ただ、首相に就任したときには既に健康問題を抱えており、 本来の能力を十分に発揮できなかった。

戦前、田中義一内閣書記官長、犬養毅内閣の文相、斎藤実内閣の文相などを歴任した。 戦時中も国会議員だったが、軍部独裁には抵抗していた。東條英機内閣に反発して、一時政界を退いた。
岸信介

1957年2月~
1960年7月

岸信介

【動画】
<会見(改造内閣発足時)↓>

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無声映像→
親米路線を明確にし、日米安保改定に尽力した。 「反共産主義」を前面に掲げ、 前任の首相たち(鳩山一郎、石橋湛山)のソ連、中国への接近路線を修正した。 親米路線は、その後の首相に引き継がれ、 戦後日本の安定の基盤となった。

戦前、有力な商工官僚としてファシズム国家の建設を主導した一人である。 軍部と協力して「国家統制経済」の制度化に邁進した。 満州でも統制経済を指揮した。 また、日米開戦に踏み切った東條内閣の閣僚でもあった。 敗戦後、A級戦犯として拘置所に入った。

吉田、鳩山、石橋ら戦後歴代首相は、いずれも太平洋戦争に批判的だった。 しかし、岸は違っていた。 戦後も全体主義的な思考を引きずっていたと批判されている。

政治手法も強権的だった。 警察官による国民への取り締まり権限を強化する警職法改正を突如、提案した。 だが、自民党内の反発で廃案に追い込まれた。

その一方で、 最低賃金法や国民年金法を成立させるなど、弱者保護的な社会政策にも力を入れた。

圏外

圏外 田中角栄

1972年7月~
1974年12月

田中角栄

【動画】
<中国訪問↓>

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街頭演説→

ロッキード事件で逮捕→
中国との国交正常化を実現した。(同時に、台湾とは断交した)

全国の地方を工業化する「日本列島改造」を掲げ、 公共投資を拡大。 道路や鉄道網の整備が進んだ。 その一方で、地価高騰とインフレを招いた。

日本の国土を「開発」するという点において、 党幹事長などの時代を含め、 後世に大きな影響を与えた。

金で政治を動かす「金権政治」「利益誘導政治」の風土を強めた。 退任後に汚職で逮捕され、有罪判決を受けた。

【参考】
歴代首相物語」(編:御厨貴)
歴代首相 (知れば知るほど) 」(小林弘忠・著)



松野頼三元衆院議員が選んだ20世紀の内閣ランキング

2000年12月

順位 首相 主な業績など
吉田茂 講和条約と憲法作成
鳩山一郎 日ソ国交回復
佐藤栄作 沖縄返還
岸信介 日米安保改定
細川護煕 8党派の連立政権
三木武夫 田中後の政界刷新
池田勇人 経済立国の土台つくる
田中角栄 日本列島改造
森喜朗 小渕病死後の政権
10 村山富市 47年ぶり社会党政権

戦後の内閣・吉田茂首相がダントツ

松野頼三・元衆院議員(当時83歳)が2000年、戦後の総理大臣をランク付けした。

松野氏は日本国憲法を作るなど戦後の日本を再建した吉田内閣を1位に挙げた。

吉田茂氏は1946年(昭和21年)の第1次吉田内閣で日本国憲法を公布してから、1953年の第5次まで通算7年2カ月も首相を務めた。1963年に政界を引退した後も「弟子」の池田勇人、佐藤栄作両氏らを通じて、政界に隠然たる力を持ち続けた。

松野氏はその吉田内閣を「ダントツの存在感」と評した。「米国占領下で国内政策を着実に行い、サンフランシスコ平和条約を締結、日本国憲法も作った。敗戦日本の再建に尽くした」と最大級の評価をした。

吉田氏は人物としても、非常に優れていたという。「頑固一徹で信念に生きた人。私心がまったくない人だった。私心がないから、国民の人気なんか気にしないで、自分の描いた国家の青写真を実行に移せた。結果からみると、彼の志向した日本に間違いはなかった」と言い切った。

吉田氏とともに戦後日本の土台を築いたのが鳩山一郎氏。鳩山内閣は、日本と旧ソ連の国交を回復し、日本民主党と自由党の保守合同を成し遂げた「保守安定政権の開祖」で、1955年11月に自由民主党を結成した。「この2人は絶対的な存在。後に総理となった佐藤栄作も岸信介も、2人の基盤の上に業績を重ねただけ」と話す。歴代内閣ベスト10をピックアップしていくと、ほとんどが時系列通りになった。「時代背景も関係するが、政治家が小粒になってきたことも理由に挙げられるのではないか」と解説する。

松野頼三(まつの・らいぞう)

1917年(大正6年)2月12日、熊本県生まれ。83歳。慶大法学部卒。吉田茂元首相の秘書官を務め、1947年(昭和22年)総選挙で初当選。通算15期。総理府総務長官、労相、防衛庁長官、農相を歴任。自民党役員としては政調会長、総務会長をつとめた。1990年(平成2年)に引退後も、政界の参謀・ブレーン役を演じた。民主党の松野頼久衆院議員は長男。

歴代首相の人気ランキング(朝日新聞のアンケート調査)

2009年9月

順位 名前 票数 略歴、解説
田中角栄 780票 愛称は「角さん」。「目白の闇将軍」とも呼ばれた。「日本列島改造論」を唱えたが、金脈問題で退陣(1972年7月~1974年12月)
吉田茂 717票 葉巻を好んだ「和製チャーチル」。サンフランシスコ講和条約に調印。議会で「バカヤロー」発言(1946年5月~1947年5月、1948年10月~1954年12月)
小泉純一郎 576票 派閥に染まらぬ「変人」。スローガンは「自民党をぶっ壊す」。2005年の総選挙では「抵抗勢力」に刺客を送った(2001年4月~2006年9月)
三木武夫 447票 金権政治や政党政治の浄化を訴え、「クリーン三木」と呼ばれた。激しい倒閣運動「三木おろし」で総辞職に追い込まれた(1974年12月~1976年12月)
佐藤栄作 279票 情報収集力で「早耳の佐藤」、人心掌握術で「人事の佐藤」と言われた。沖縄返還を実現。連続在任7年8カ月は最長記録(1964年11月~1972年7月)
池田勇人 232票 所得倍増論を唱え、高度経済成長政策を推進。がんのため東京五輪の直後に辞任(1960年7月~1964年11月)
中曽根康弘 214票 国鉄、電電公社などを民営化。米国との関係を強めたが、「日本は浮沈空母」発言も(1982年11月~1987年11月)
村山富市 209票 社会党委員長を務め、自社さ連立政権で首相の座に。日米安保、自衛隊を容認(1994年6月~1996年1月)
石橋湛山 181票 東洋経済新報社の元社長。言論人から政界へ入り、誰に対しても物おじしない発言をした。 病気のため、わずか71日で引退を表明した。(1956年12月~1957年2月)
10 細川護煕 138票 日本新党の党首を務め、非自民連立政権で首相に。旧熊本藩主細川家の子孫(1993年8月~1994年4月)

最も評価していない首相(朝日新聞のアンケート投票)~2009年9月

順位 名前 票数
宇野宗佑 1195票
麻生太郎 714票
森喜朗 555票
安倍晋三 547票
小泉純一郎 542票
福田康夫 218票
村山富市 98票
田中角栄 76票
細川護煕 69票
10 岸信介 57票

<調査の概要>
朝日新聞の無料会員サービス「アスパラクラブ」のウェブサイトで2009年8月の総選挙前にアンケートを実施。戦後の歴代首相30人の中で「最も評価している人」「最も評価していない人」(いずれも単一回答)を尋ね、4343人から回答を得た。


読売新聞のネットモニター調査(2006年)

2006年9月

戦後の歴代首相の中で誰を評価するか(複数回答)

順位 首相 評価
吉田茂 44%
小泉純一郎 41%
田中角栄 36%
中曽根康弘 30%
佐藤栄作 25%
池田勇人 18%
岸信介 13%
三木武夫 12%

「角栄」抑えて「小泉」2位

読売新聞社の「ポスト小泉」に関する第3回ネットモニター調査で、戦後の歴代首相の中で誰を評価するか(複数回答)を聞いたところ、戦後の混乱期にリーダーシップを発揮した「吉田茂」が44%で最も多かった。現職の「小泉純一郎」が41%で2位。3位はロッキード事件で逮捕されたものの、実行力と庶民性で人気の高い「田中角栄」の36%だった。

吉田元首相については、在任中に日本の進路として選択した「軽武装・経済重視」路線が現在の日本にとって良かったかを聞いたところ、72%が「そう思う」と答えた。こうした点が高い評価につながったようだ。性別や年齢別に見ると、男性や高年齢層で「吉田茂」がトップ。一方、女性や若年層は小泉首相を挙げる人が最も多かった。